旅する人々 ー日本をちょこちょことー

自分たちの旅の様子や海外からの友人たちの旅を紹介しています。

天龍寺から竹林の道を抜けて

京都での最初の泊まりは町家を利用した。古い家の構造はそのまま残した上で、清潔さを保ためのメンテナンスが施されている。歯ブラシなどのアメニティー、コーヒーなども据え置かれているので便利だ。もちろんスタッフがいないから、気も休まる。ただタクシー運転手にとってはかなり厄介なのだという。彼らは何十年も京都の町を走り尽くして知らない場所はないといっていい。が、さすがに町家という元民家の場所まではわからないことが多いらしい。住所を告げても、周辺までしかわからない。

「知らない旅館はないという自負はありますが、町家まではねえ。困りますよ。」

運転手によると、町家を利用する旅行客は増えているということだった。老朽化した町家に多少の手入れをし、観光客に貸し出すというビジネスモデルは投資も少なくて済むし、当然町の景観の保全にも貢献するのですばらしいアイデアだと思う。ただし、一般の閑静な住宅街の中にあるので、外国人観光客(に限らないかもしれないが)が大勢で宿泊し、夜通し酒盛りされると近所迷惑になるというリスクはあるかもしれない。

 

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天龍寺三門

さてこの日は嵐山を散策するため、朝九時に町家近くの停留所から46系統のバスに乗車して南下。バスの中で一日乗車券(大人500円、子供250円)を購入し、千本丸太町で93系統に乗り継いで西の嵐山方面へ向かった。

最初、世界遺産でもある天龍寺に参拝した。天龍寺の方丈庭園”曹源池”は夢窓疎石(1275-1351)の作である。疎石は天龍寺の開山でもある。

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天龍寺方丈

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天龍寺方丈の達磨禅師

夢窓疎石と後醍醐天皇(1288-1339)の関係は1325年、後醍醐天皇が夢窓疎石を京都に招いて南禅寺の住持にしたことに始まっているようだ。なぜ招いたのか、よくわからない。後醍醐天皇ほど権力好きだった天皇も珍しく、権力とは対極の思想をなすところの禅になぜ関心をもったのだろうか。もっとも後醍醐天皇にとっては禅の中身には関心がなく、当時群を抜いて高名だった夢窓疎石を自分の手元に招き寄せることで、自身の存在感を示したかったのかもしれない。

1333年には足利尊氏と共闘して鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇だったが、二人はまもなく袂をわかち、激しく対立する。1339年、和解することなく後醍醐天皇は崩御。これを弔うように足利尊氏にすすめたのが夢窓疎石で、このために創建されることになったのが天龍寺である。足利尊氏は歴史上の有名人であるが、あまり人気がない。天皇と対立したためだろうか。だがいくら死去したとはいえ、血を流し合った喧嘩相手のために一寺を建立するなどというのは、味方の目もあり、常人の神経では到底できないことではないだろうか。当然大反対する者も少なくなかっただろう。このあたりに尊氏の魅力があると思うのだが、滑稽なことに尊氏には建立するほどの大金がなかった。自分のために味方して戦ってくれた者に、惜しみなく土地を与えてしまっていたからである。それで疎石はすかさず、

「中国と貿易して稼いだらどうですか?」

とすすめたという。尊氏も常識で計れない男だが、疎石もただの禅者ではない。尊氏はすすめに応じてさっそく貿易船(天龍寺船と呼ばれた)を仕立て、日本の物品を中国で売り、中国の物品を日本で捌き、その利益で天龍寺を建立した。

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天龍寺方丈庭園の紅葉

天龍寺の庭園は広々としていて、贅を尽くしているが、夢窓疎石の人柄が反映されているためか、見る者を圧倒するような権力の気配はなかった。ただ、昼に近づいてくると観光客の数がおびただしくなってきたので、三門に戻り、北上してまもなく西に折れ、竹林の道を歩いた。

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竹林の道

竹林の道も往来の人々で賑わっていた。無数の竹が沿道の両脇に聳え、青い屏風のようだった。尽きたところで、道は南北に分かれていた。北にすすむつれ、人通りは次第に少なくなっていった。どうやら観光客が集中するのは天龍寺周辺と竹林の道までであるらしい。しばらく坂道を下り、やがて道が平坦になると、どことなくのんびりとした風景になっていった(終わり)。