旅する人々 ー日本をちょこちょことー

自分たちの旅の様子や海外からの友人たちの旅を紹介しています。

落柿舎のさびしさ

芭蕉(1644-1694)晩年の48歳のとき、一時嵯峨野にいた。嵯峨野に落柿舎という小さい庵があって、芭蕉の高弟であった去来の別荘である。別荘には40本ほどの柿の木があった。或る時去来は頼まれて柿の実を販売する約束をしたのだが、引き渡しの前日に庭中のあらゆる柿の実が落ちてしまったのが落柿舎の名前の由来である。

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落柿舎の柿

落柿舎滞在中に芭蕉が書いたのが嵯峨日記である。芭蕉は本書で、「憂し」とか「さびし」といった言葉にこだわっている。芭蕉の句に、

 

 うき我を さびしがらせよ かんこどり(芭蕉)

 

というのがある。

 

 閑古鳥よ、気分の塞いだ私の心を寂しくしておくれ

 

という意味だと思うのだが、よく私にはわからない。わかるのは「憂し」を否定し、「さびし」を肯定しているということである。「憂し」は気分が塞いでいることだから、否定するのは当然だろうと思う。ただ「さびし」、つまり寂しいという気分を肯定し、憧れているのはなぜだろう。ちなみに「さびし」を調べてみると、

 

 なにかが失われて物足りない、活気がなくなりさびれている

 

という意味だそうである。

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落柿舎にて撮影

嵯峨日記では西行のつぎの句も引用されている。

 

 とふ人も思ひたえたる山里の さびしさなくば 住み憂からまし(西行)

 

この句にも「憂し」と「さびし」が含まれている。西行は塵界から離れ、山里に独居しているのだろう。

 

 訪れる人も思い浮かべることができなくなったこの山里であるが、もし”さびしい”と いう気分がなかったならば、住んで憂鬱であっただろう

 

西行においても「さびしい」という気分が肯定されているのがわかる。むしろ「さびしさ」を求めて独居しているのだ、とさえ主張しているように思われる。

ところで芭蕉のあとの時代になるが、与謝蕪村(1716-1784)という俳人が出て、彼もまた「さびし」の句を詠んでいる。

 

 さびしさの うれしくも有 秋の暮(与謝野蕪村)

 去年より 又さびしいぞ 秋の暮 (与謝野蕪村)

 

ここにいたって、「さびし」は完全に肯定されてしまった。さびしいことが蕪村にとってはかえって嬉しいのだ。今年の秋の暮のほうが一層さびしくて嬉しい、と喜んでさえいるのである。

混乱するばかりだが、もしかするとこういうことではないだろうか。学生であれ、社会人であれ、なんであれ、人としてこの世にある以上は世間との交わりの中で生きている。それは喜びであることもあるし、煩雑に思うこともある。面倒なことの方が多いだろう。この煩雑な思いが「憂し」。「憂し」は社会生活上どうしても生じるものであるが、それが埃のように少しずつ少しずつ積もっていくと、やがて限界点に到しようとする。そうなると人は”独居”願望をいだく。現代風にいえば、”引きこもる”という意味に近いだろう。或いは今こうしているわたしがそうであるように、生活の現場を離れ、ふらふら旅に出るという行為も、独居に類似しているかもしれない。では旅をしたり、引きこもったりする目的はなにか。「さびし」を感ずるため、といえるのではないか。さびしさを求めて、ふらふら旅に出る。

今もそうだ。天龍寺の方丈庭園はたしかにすばらしかった。だが人がどんどん増えてくると、どことなく落ち着かない。きっとそれが「憂し」で、「さびし」が失せたからだ。竹林の道を抜け、人がまばらな常寂光寺は「さびし」かった。それがとくによかったのだろう。誰であれ、旅する者は、心の底では人気(ひとけ)のないところを渇望している。

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落柿舎付近にて撮影

落柿舎の外には素朴な風景が広がっている。人通りも少なく、こんなにいいところ、さびしいところはないかもしれない。

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落柿舎にて撮影

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「俳聖かるた」落柿舎の受付で購入できる

(終わり)